ジュニ男が体調を崩したとき、私たちが一番危惧したのがFIP発症の可能性でした。FIP=猫伝染性腹膜炎には、いまだに確実な診断方法がなく治療法も確立していません。ここアメリカではFIPの診断=死刑宣告、飼い主が考えるべきことは安楽死のタイミングだけ、というのが現実です。
他方の日本では、発現している症状を叩きつつ強制給餌などを続けて、できれば寛解を目指す、寛解に至らなくてもQOLを確保しつつできる限り長生きさせることを目的に、獣医さんと飼い主さんが一緒になって頑張るケースが多いと思います。可能性のありそうなことは何でも試してみようとする積極性、日本の獣医&飼い主の方がアメリカより高そうな気がします。
我が家がトロちんと闘病していたのはもう10年も前のことですが、当時から日本ではFIPにインターフェロンが試されていました。私の記憶が正しければ、猫用に遺伝子が組みかえられたインターフェロンは、世界に先駆けて日本で最初に商業ベースで流通したはず。
ちなみにインターフェロンはFIPには効用外で、2007年にRitzらが行ったdouble-blinded placebo-controlled trialでは、FIPの診断がほぼ確定した猫を2つのグループに分け、それぞれにプラセボとインターフェロンを投与した結果、統計的に考察すると2つのグループの平均生存日数に大差はなかったそうです。但し、1匹だけ例外的に長期生存した猫がいて、その猫はインターフェロン投与グループの猫だったそう。長期生存の理由が本猫の個体的な要因によるものか、それともインターフェロンによるものか、残念ながら因果関係は不明なままです。
近年、欧州ではヴィルバック社からVirbagen Omegaという猫用インターフェロンが流通するようになったようですが、インターフェロンが正式なFIP治療薬として世界的に承認されるためには、一定の条件を満たす研究で確実に治療効果があがったと証明されなければなりません。
ところが日本では、その他の支持療法・対照療法と併せて、比較的早い時期からFIPにインターフェロンが積極的に使われていました。これはやはり「可能性があるものなら、何でも使って欲しい」という飼い主さんの多さに支えられてのことだと思います。そして数多く使っていくうちに、現場の獣医師の間でその使用にある一定の手ごたえを感じるケースが生まれていったのではないかと思うのです。インターフェロンはその一例で、インターフェロン以外にも様々な支持療法・対症療法が考えられ、組み合わされ、手ごたえのあるもの、ないもの、試行錯誤の中でよりよい方法が探求されているのだと思うのです。
こうして臨床の現場で行われる試行錯誤は、それ自体が特定の治療法・治療薬の効用が確実と承認されるに必要な条件を満たしていなくても、多くの病気の猫を助け、飼い主さんを救うことに繋がる、とても大きな意義をもつと私は思うのです。が、そのような試行錯誤、すなわち確実な結果を残せない可能性があるにも関わらず高額になりがちな治療を試行錯誤する余裕は、私が見聞する限り、アメリカの獣医療を巡る風土には望めないように見えます。
診断方法についても、私が日本にいたころは、まだ血液中のコロナウイルスの抗体価を調べる方法が、診断の補助として使われるもっとも一般的な方法でした。しかし、私が日本を出国してからは、コロナウイルスの抗体価ではなく、コロナウイルスの遺伝子そのものを検出するPCR法を商業ベースで提供する
ところが出てきて、年々その方法が広まりつつあるようです。
しかし、この血液中のウイルス遺伝子を検出するPCR法は、、欧米では確度が低いとあまり推奨されていない模様。FIPの原因ウイルスは弱毒性のコロナウイルスですが、これが感染した個体の中で突然変異を起こし強病原性を帯びたFIPウイルスとなることで発症すると考えられています。でも、このFIPを引き起こす強病原性ウイルス自体の遺伝子情報は、まだ確実に把握されていません。したがって、今のところ遺伝子を検出できるのはコロナウイルスだけでなんです。つまり、血液中にコロナウイルスの遺伝子があってもその事実だけではFIPの発症及び発症可能性を確実に診断できないんです。もちろん、血液中のウイルスの抗体よりは、遺伝子そのものを検出したほうが診断の確度は高くなるのが道理。この点は詳しく
検査会社の社長のブログで説明されていますので、そちらをご覧ください。
しかし、アメリカの獣医さんたちは比較的新しいPCR法での診断には消極的な感じです。なお、血液ではなくFIP発症箇所の腹水や細胞組織を検体とするPCR法では診断の確度は高いそうですが、体内の病巣に針を刺して細胞を取ってくるバイオプシーは病猫にとってあまりに侵襲が大きいし、抜かなければいけないほど腹水が溜まっている状態になっていれば、FIPの疑いはPCR法にかけずともかなり濃厚です(他にもいくつか診断補助になる方法もありますので)。というか、治療に応答せず腹水がどんどん溜まっている状況は、アメリカだと既に安楽死を強く勧められる段階です。
もろもろ考え合わせると、アメリカの臨床獣医の間でPCR法で血液中のコロナウイルスを検出する方法が盛んに行われるようになるとは考えにくい。検査の確実性を上げる一方、相当なコストダウンが必要でしょう。また、日本よりはるかに安楽死のハードルの低いアメリカで、治療方法がない病気を確定診断することの意味も考えなければなりません。確定診断ができても治療ができないなら、早めに診断がつくことで、まださほど苦痛なく生きられる猫たちが早々に安楽死させられることになりそうです。どうせ助からないのなら無駄な治療費を払わずに済むということで、飼い主にとっては大きなメリットかもしれません。が、そうした経済的メリットより、まだしばらくは苦痛なく生きられる命を強制終了させられるデメリットを、良心的な(感傷的?な)獣医さんなら考えてしまいそう・・・。命あるもの、いつか終わりが来るのは避けられないことですが、そのいつかをそんなに簡単に決めていいんでしょうか。不治の病にかかったとしても、まだ十分生きられる段階で、経済的な合理性を優先することが正しいとは、私には思えません。
というわけで、診断にせよ治療法にせよ、臨床の現場でFIP、FIP疑いの猫たちに行われていることは、アメリカよりも日本の方がずっとずっと前向きで積極的であるように感じます。
ジュニ男の体調不良をきっかけに、FIPについて久しぶりに情報収集のためにネットで検索をかけてみました。日本語で一番情報が充実しているのが
「猫のウイルス病公式サイト」であることは従来どおりのようです。英語では、英国の
Dr. Addieのサイト、アメリカの
Winn Foundationのサイトが最新の研究などの情報をフォローしています。それに加えて、英国の
Feline Advisory Bureauのサイトが多くの情報を網羅した上で、よくまとまっていて読みやすかったです。
英語サイトで拾った目新しい情報としては、
Sass & Sass, Inc社のPolyprenyl immunostimulantという免疫刺激剤(comprised of a mixture of phosphorylated, linear polyisoprenols=リン酸化された直線状の原子鎖から成るポリイソプレン??)がドライタイプのFIPに効くのではないかということで、テネシー大学中心に研究が進められているそうです。その研究はJournal of Feline Medicine & Surgeryの2009年11(8)号、p. 624-626に発表されているそうです(Legendre, A.M. and J.W. Bartges, Effect of polyprenyl immunostimulant on the survival times of three cats with the dry form of feline infectious peritonitis)。ここで発表された研究では3匹中2匹が2年以上生存しているそうで(もう1匹は4.5ヶ月治療して14ヶ月生存)、臨床段階でさらに実績が上がれば、ドライタイプのFIPの治療法として確立される日がくるかもしれません!